Dreamin' Dawn

たいがいまぁまぁのポエム

ポルノグラフィティ 20th Anniversary Special LIVE "NIPPONロマンスポルノ’20"~神vs神~に関する雑記

この1年ちょっと、考えては寝かせ、寝かせては思いつきを重ね、やっと形にできました。
それだけいろんなものが詰まっているライブだとおもうし、だからこそだいじに考えたくって。
正直、いまだに(自分で納得のいく)理解ができていない部分もあるけれど、
それでもひとつ形にしたいじゃん。だって次があるんだもん。

今回は思いついたことの箇条書きでなく、ひとつの大きなトピックスに沿って書きます。


◆このライブのテーマについて

今回のライブのテーマは「たたかい(戦い、そして闘い)」なんだとおもってる。

そうおもった最初の理由は、いつもいろんなお話をさせてもらっているおともだち*1に、
このライブについてそんなふうにお話してもらったから。
当時のわたしはまだそこまで考えていなかった(ライブ全体を俯瞰で見られていなかった)ところで、そのお話になるほど、と思っていて。

さらにはそのお話を聴いた直後、新藤さんが自身のラジオ「カフェイン11(以下カフェイレ)」(2019.9.23)で同じようなことを言ってて。

そうねぇ、今回のドームで伝えたいのはやっぱこの…伝えたいというかまぁそんなに、これいっこっていうことはないんだけど、
なんか大きなことがひとつ言えることがあるかなーと思ったら、
俺んなかでは、ほんとこの「プッシュプレイ」の「あのロッカーはまだ闘ってんのかな」っていう。
で、自分たちはまだ闘ってるのか、闘えてるのか、これからも闘うべきなのか、そうでなく…なのかっていうのがね、
なんかすごく、この、20周年という節目に自分のなかに思い浮かんできたことじゃけ。

このお話のとおり、今回のライブは2日間ともこの歌詞ではじまって、この歌詞で終わる。

あのロッカー まだ闘ってっかな?
(「プッシュプレイ」)

そしてライブ本編最後の曲(かつ今回のライブでの最新曲)にはこの歌詞。

あの少年よ こっちも戦ってんだよ
(「VS」)

「闘い」と「戦い」というちがいはあれど(以下、両方の意味を込めて「たたかい」と表記します)、
こう見るとたしかに、このライブのテーマは「たたかい」だよなぁ。


そこまでを前提としたところで、
じゃあ、それはなにとの「たたかい」なのか。
なぜかれらは「たたかって」きたのか。
どうやって「たたかって」きたのか。

この3つについて考えてみました。1年以上かけて。。。以下長文です。


* * * * * * *


それらのヒントは、セットリストのなかのいわゆる「非シングル曲」にあるんじゃないかな、と思ってて。
なぜかというと…まずは改めて2日分のセットリストを。

sp.pornograffitti.jp

(本当は抜粋したいんだけれど、あまりにも長くなるので、、、ぜひ改めてリンク先でご覧ください)

こうして眺めてみると、そりゃあまぁシングル曲メイン、ですよね。
まぁ"現役"バンドの20周年記念で10年ぶりのドーム公演2Days、シングル曲が50曲もあるんだもん。そりゃあそうだ。

そのシングル曲たちについては、新藤さんがカフェイレにて(何週間かを費やして)セットリスト順に曲を流したうえで、
1曲ごとに解説をしてくれていて。
たとえばこんな感じ。

ヒトリノ夜
これは、まぁもちろん初期の曲で人気のある曲なんですけども、
まぁキーが高い、キーか高いっていうか高いキーの音が続くっていうので、
なんかヴォーカルが、昭仁があんまり歌いたがらない、しんどいっていうのが、まぁほんとに辛い曲なんだと思うんじゃけど。
彼が言うにはキーが高いのじゃなくて、高いキーの音が続くのがしんどいんだって。
一発、高い音を出すのってそんなに、なんというか大変じゃない曲もあるんだけど。
高い音が続くとやっぱりうまくいかんけぇっていうことで、イマイチ、セットリストの常連にはならなかったんですけれども、
まぁ今回はね、一生懸命やってましたね。
(2019.11.4 カフェイレより)

(ちょっと余談、いままでのライブ後にこんなことって、1曲ずつここまで詳しく話してくれることってあったかなぁ…。
セットリストの流れとか、テーマを話してくれることはあったけど、
ここまで細かく、各曲のライブでの使いどころ、みたいな話をしてくれたことって、あったのかなぁ…。

ここまで解説する、言ってしまえばライブのセットリストの作りかたの"手の内を明かす"ってことは、
次のライブはこれを踏まえて臨んでねってことなのか、もしくはまったく違った方法でセットリストを組んでくるつもりなのか、
それとも…?気になるところではある)

とはいえこの企画(?)中、「非シングル曲」については一部の曲にしか触れられてなくって。
たしか「非シングル曲」も含めてほとんどの曲を順番に流してはくれたけど、
特にセットリスト真ん中の、いわゆる"ヘソ"付近の曲たちについては、
曲を流す前のコメントは「次の曲です」とか「ここで1曲」とかいった言葉だけ。

そうなるとまぁ、わかんないけど、というかこれすら勝手な解釈だけど、
もしかしたら、そこについては受け手に解釈を委ねる余地を残してくれたのかなぁ…と思って。

はいそうです、いつものように以下、強めの妄想です。あしからず。
なお、「非シングル曲」のなかでも、いわゆるライブ定番曲(「ジレンマ」「Century Lovers」「ライラ」)と
本間さんとのメドレーコーナーの楽曲(「マシンガントーク」「狼」)は取り上げていません。あしからず。

というわけで、その「非シングル曲」をヒントにして、先に挙げた3つの点について考えてみますね。


* * * * * * *


◇「たたかい」の相手

「たたかい」という言葉から思い出す、過去のライブでのMCがあって。
2014年、デビュー15周年記念ライブだった「神戸・横浜ロマンスポルノ'14~惑ワ不ノ森~」にて、
このライブのいわゆる"ヘソ"だった「デッサン#1」に続く新藤のMC。

懐かしい、曲じゃね。
この曲を、まぁやるっつって、ギターの練習しよって。このライブのね。練習してて。
この曲、まぁアマチュアのころからやりよって、そのころのことをふと思い出して。
要はそのころってこう、ギター持ったら自分って、なんか無敵に感じてたなと、いうことを思い出して。
まぁギター持って、バンドしてる自分は、ほんとにこう怖いもんなんかなかったし、
なんか、無敵だなって、信じれてたなと、なんかそんなことを、この曲練習してて思い出して。
まぁそのころの敵と言えば、こう、しょぼい自分だとか、都会だとか、そういうものだったから、
なんかそういうもんに対して、まぁ言ったら、そんな大した敵じゃなかったから、
きっと、自分を信じることができたんじゃないかなぁと思うけども。

まぁそれからずいぶんと経って、いま、ギターを持った自分は、バンドやってる自分は、無敵だと信じられつづけているかなと、こう考えて。
まぁ、考えた結果、まぁ武器らしい武器っつうのもギターしかないから、
今の強敵?今の俺の強敵っつったら、ほんとにこういろんなものが叶ったあとの、それに残った、筋金入りのしょぼい自分だとか、
なんか時間が経つと変わると思ってたら、意外に変わらなかったしょぼい自分だとか、
テレビから流れてくる、災害や、戦争や、なんかそういうものに自分がどう感じてられるのかとか。

そういうものに対して自分は、ギターを持ってどう立ち向かっていけるかなと、考えたけれども、
まぁそれ以外に、ないし。バンドやギターや、そういうものでしか立ち向かえないので。
そして、こんなにたくさんの人が、きっと、まだ、信じていけと言ってくれてるんだろうから、
これからもその、みんなの気持ちも含めて、信じて頑張っていこうかなと、思っております。

こうして読むとかなり具体的に、かれらが"たたかってきた"、そして"たたかっている"相手に言及されてるよな、と。
(もちろん、このMCは今回から4年前のライブでのMCなので、そこから多少なりとも変化してる部分はあるんだろうけれど)

いま改めてこの話を聴いたら、かれらの「たたかい」の相手が
今回のライブに、セットリストに、もっというと「非シングル曲」にどう落とし込まれていたのか、
なんとなく腑に落ちてきたところがあって。


* * * * * * *


セットリストとは順番が違ってくるけれど、先にこちらの曲から。

・「Theme of "74ers"」
(※上記公式Staff Reportでは省略されていたけれど、両日ともM7とM8の間に演奏されていました)
この曲に関して考えたことがふたつ。

ひとつめ、曲中にサイドスクリーンで流れていた映像に基づいて考えたこと。*2
曲中に流れる映像は、デビュー当初から2009年、つまり前回のドーム公演までの活動(ライブやらレコーディングやら)のもの。
この時期のかれらはわかりやすく「闘ってた」、いわば戦闘モードだったんじゃないかな、と思って。

この公演の通し券(ファンクラブ限定)を買うと一緒にもらえたキラカードの新藤の言葉にもある、
「当時の写真を見ると、目が吊りあがっている」って。
この映像の時期、周囲に対してそういうモードだったんじゃないかなぁ。それが意図的か無自覚かはともかくとして。

その時期に具体的になにと闘ってたかって、冒頭に挙げた"惑ワ不ノ森"のMCで新藤が言ってたことを思い出してる。

そのころの敵と言えば、こう、しょぼい自分だとか、都会だとか、そういうものだったから

そういう時代の象徴として、ここでこの曲を選んだんじゃないかなぁ。
なぜかって、この曲は2003~2004年にかけて行なわれた、"74ers"というライヴサーキットのテーマ曲で。

このライブについて、新藤は『20th ANNIVERSARY SPECIAL BOOK』で
「実験的な要素を盛り込んで、他のツアーとは毛色が全然違った内容だった」「結果的には僕の力不足であんまり評価されなかった」と言ってる。
つまり当時、新しいことをやろうとして、周りの"大人たち"、そして世間(がポルノグラフィティを見る目)と闘いながらつくりあげたツアーなんだと思う。
だからこそ、この映像のころの、戦闘モードだった時代の象徴として、この曲を選んだんじゃないかなぁと推測してる。

なお、曲の最後には10年前のドーム公演のリハの映像*3
オンステージの様子が映ったあと、そのままカメラが回されて空の客席が映る、そこで映像が切り替わる。
どの映像に切り替わったかというと、同じくドームのステージから見た客席の映像なんだけど、違う時期の映像。
いつの映像なのかは、カメラの向きが客席からステージに戻るとわかる。
そう、今回のライブのリハの映像*4
つまり、前回のドーム公演から今回のドーム公演の間(2010年〜2019年)の映像は入ってないように見えるんだよね。
その点からもデビューから前回のドーム公演までの時期、戦闘モードの象徴としてこの曲を選んだのかなぁ、とおもってる。

そしてもうひとつ曲について。繰り返すけど妄想です。
そもそもこの曲にこのタイトル(直訳すると「"74ers"のテーマ」がつけられた理由は、
「2003~2004年にかけて行なわれた、"74ers"というライヴサーキットのテーマ曲」だから、というのは事実なんだけど。

このツアータイトル"74ers"には"1974年生まれ"="自分たち"という意味が込められていて。
その意味をそのまま使うとして、この「Theme of "74ers"」というタイトルを訳すと、
「"1974年生まれの自分たち"のテーマ曲」と捉えうるのではないか、な…ちょっとこじつけかな。。。


続いて"惑ワ不ノ森"のMCで触れられていた、もうひとつの「敵」について。

今の俺の強敵っつったら、ほんとにこういろんなものが叶ったあとの、それに残った、筋金入りのしょぼい自分だとか、
なんか時間が経つと変わると思ってたら、意外に変わらなかったしょぼい自分だとか、
テレビから流れてくる、災害や、戦争や、なんかそういうものに自分がどう感じてられるのかとか。

ここについては次の2曲が該当するんじゃないかなぁと。


・「Twilight,トワイライト」
これはもう明確に、戦争との「たたかい」だとおもう。
この曲がリリースされた2005年から考えても、この世界のどこかでは戦争が続いていて。それに対して自分がどう感じていられるのか。
この選曲はこの直前のツアー"UNFADED"の本編最後で、「∠RECEIVER」が演奏されたのと同じ理由じゃないかなぁ。

この曲についてはもうひとつ考えたことがあって。まぁあんまり大きなトピックスじゃないかな、とは思うけど…記録。
この曲が、今回のライブのいわゆる"ヘソ"じゃないかなと思うんだけど。
10年目のドーム公演(初)での"ヘソ"は「音のない森」、それに対して、20年目のドーム公演(2)ではこの曲で。

同じような長尺のアレンジ、しかもどちらも当時のプロデューサー、本間さんを中心につくったアレンジで。
なにか原点のようなものを感じたくなってしまう、なぁ。


・「n.t.」
これは自分との「たたかい」じゃないかなぁ。
岡野は初日曲前のMCで「怒り」って言ってたけど、不条理な世の中への怒りや、そこでうまくやっていけない自分自身への怒り、
そういったなにもかもへの憤懣、それをぶつけた曲なんだろうし。
これは「当時の強敵」の意味が大きいとは思うけれど、どうなんだろう、「今の強敵」でもあるのかなぁ。
少なくとも、この20年でかれらがたたかってきた相手であることは間違いないとおもう。


ここで閑話休題、「たたかい」との関連性はともかくとして、、、
・「Hey mama」「ウェンディの薄い文字」
新藤さんがメインヴォーカルで歌うポルノの曲ってこの2曲だけだと思うんだけど、
 「Hey mama」は"The dice are cast"ツアー追加公演(横アリ、城ホ)、
 「ウェンディの薄い文字」は"OPEN MUSIC CABINET"ツアー(アリーナツアー)でしか歌ってないよね…?
 もしかして…アリーナクラス以上の会場でしか歌わないヴォーカリスト…!(ただし「やべえラップ」は除く)


* * * * * * *


ここからはふたつめ。
◇「たたかい」の理由

これはもう、という言いかたがふさわしいのかわからないけれど。
自らの初期衝動を裏切らないため、そこに嘘をつかないためかなと。

以下、今回のライブ初日、メンバー紹介での新藤のMCより。

ポルノグラフィティって名前じゃなかったけど、高校からやってて。文化祭出たりやってて。
そっからこう、若干数は減ったけど、まぁ地続きっていうか陸続きで、ここまで途切れることなく。
自分のなかでは、ポルノの過去を見ると、デビューのとこじゃなくて、文化祭でやってたときのことまで繋がってるわけ。
やっぱまぁみんな誰しもそうだとは思うけれども、やっぱああいう、なんかなぁ、真っ白な、時代に、思ったこと、考えたこと、みたいなことを、
やっぱこう時間が経って大人になった自分が穢したくない
のってあるじゃん。なんか中学校のときの初恋の人ってなんかそういうことってあるじゃん。
それに近いことが、自分のなかでポルノグラフィティにはあって。その、ポルノっていうものを自分の手で穢すのはいやだなぁと思いながら、ここまでやってこれたし。
まぁ、ほんとに部活…まぁ部活っていうにはちょっと、おっきなとこでやらしてもらいよるけども、
でもそれでもやっばり、やりたきゃやるし、やめたきゃやめるみたいな。
初恋の思い出って穢したくないじゃん?

こう文字にしてしまうと簡単だけれど、「穢さない」と「やめない(続ける)」の両立って、ましてやそれを20年も続けるだなんて。
そのためにたくさんたくさん、たたかってきたんだろうなぁ。われわれの想像も及ばないようなところでも。

余談かもしれないけれど、こうして読んでみると思い出す歌詞があって。
15周年記念シングルとしてリリースされた(そして今回の初日公演でも披露された)「俺たちのセレブレーション」より。

不時着した月の砂漠を見渡せば 緑色の肌した生き物に囲まれ
バナナみたいな銃が狙う俺のガールフレンド

ね。

もうひとつ、さっき言及した「非シングル曲」のうち、この曲もここに繋がってるんじゃないかなと。

・「グラヴィティ」
この曲を今回ライブで聴いたとき、最新シングル『VS』のカップリング曲「一雫」を思い出す歌詞があって。

それは曲の最後のリフレイン部分。
強調したいところで使われる手段、リフレイン。この曲では1サビではなく2サビのこの歌詞で。

いつからか時間が意味を失くしていたの
一秒と千年の間に違いはなくて

しかもポルノの曲としては珍しく、ここでは主となるメロディ(歌詞)を
コーラスパート(新藤さん、サポートミュージシャンズ)が歌ってる。ヴォーカルの岡野くんはスキャット
その点からも、この曲の歌詞の主題はここなのかなぁとおもったところで。

ここを今回のライブで聴いたとき、「一雫」という曲のこの歌詞が浮かんできて。

それは瞼の裏の光 遥か青春の日
仄かな温もりが残るよ
時間は距離じゃない

これって、瞼の裏に自分が「あの少年」だった日日のことを見てるのかもしれないなぁと。
それができる限り、「あの少年」はいまも自分のなかにいるんじゃないかなぁ。
そしてそれができるのは、「あの少年」をだいじにしつづけてきたからで。気づいたら残ってた部分だけじゃなくて、「だいじにしたい」という意志があったからこそできることで。

このインタビューでの新藤の「一雫」に関しての発言も、そう考える理由のひとつ。

(「一雫」は)自分はポルノグラフィティに対してこれまでも、今も、そしてこれからも思い続けるであろうことを書いてみたという。

natalie.mu


つまり、「Search the best way」の歌詞から引用すると「清潔な衝動に正直でいたいから」、
だからこの20年たたかってきたんだろうな、とおもってる。


* * * * * * *


◇「たたかい」の手段
みっつめ、じゃあかれらはどうやってたたかってきたのか。
その手段として、20年出し続けてきたシングル曲たちがあったんじゃないかな、とおもっていて。

先述のとおり、今回のライブは周年ライブである以上、セットリストにシングル曲が多くなるのは当然ではあるんだけど、
もしかしたら理由はそれだけじゃないのかなと。

思い出したのが、ライブの告知用に都内で掲示されていたこのポスター。
いま考えるとこの通りだな、と。

ポルノグラフィティ オールスター★ゲーム」
「ルール無し。これがポルノの総力戦。」

5月 | 2019 | Staff Report | PORNOGRAFFITTI


そう、総力戦。使える武器は、手段はぜんぶ使う。

メジャーシーンで20年たたかって、生き残ってきたかれらにとっての大きな武器のひとつが
このシングル曲たちじゃないかなと思ってて。
今回、この晴れ舞台でいろんな時代のたくさんのシングル曲を披露することは、
ここまでのたたかいの手段を詳らかにすることだったんじゃないかなって。

自分たちはロッカーとして、ロッカーにあこがれて、ロッカーになりたくて音楽をはじめたけれど、
大阪で活動して、東京に進出して、ようやくデビューを果たしたところで、
リリースした曲たちは「ロックじゃない」と一部で揶揄されていた、そういう受け取りかたをされていた。
(当時からのファンではないので推測にはなるんだけど…少なくともかれら自身は、そう感じていたと思うんだよな。。。
 実際に世間がどう見ていたのか、そしてかれらがどういうふうに声をかけられたかは別としてね。
 たとえばこの下に載せたインタビューでの岡野の発言を読む限りは)

そして、ここはさらなる妄想になるけれど。
ましてや人数も二人、形がどうこういう話ではないとはいえ、
たしかに自分たちの目指していた、(一般的な*5)「バンド」という形態ですらなくって。
そう考えたときに、自分自身が最初に抱いた夢が、あこがれが果たせているのか。きっとこの20年で迷った瞬間もあったんじゃないかなぁ…

つまり、いわばロッカーでもバンドでもないという"パブリック"イメージとの、
そして自分たち自身(が抱いた初期衝動)への後ろめたさとのたたかいについて、
「こんなシングル曲たちと戦ってきて、その結果ここまで生き残ってきたんだ」とひとつの答えを見せるようなライブ。
いわば、これまでの活動を自ら肯定するかのようなライブ(セットリスト)だったのかなと。


こう思ったのは、さっき引用したのと同じ『VS』リリース時の音楽ナタリーでのインタビューにて、
岡野が「ポップであると胸張って言えるようになった」と言っていたところに拠る部分が大きくて。

ポルノグラフィティ「VS」インタビュー|“メジャー志向”を貫いた20年の証 (2/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー


岡野がよく言うところの「裏ポルノ」に対しての
「表のポルノ(=「自分たちの武器だ」と自ら認められた、"ポップネス"が強く出ている曲たち)」を詰め込んで、
自分たちはこういう音楽で20年間メジャーシーンを生き残ってきたんだ、ここまでやりきったんだ、
という歴史を見せつけるかのように、
それをドームという場所で証明しているかのように感じた、なぁ。

その一方で、「裏ポルノ」枠として先に挙げた「非シングル曲」たちをセットリストに入れて、
具体的な"敵"との戦歴を証明したんじゃないのかなぁ。


余談まじりに、この「裏ポルノ」枠の曲が多く披露されたことで有名な(たぶん)
10年目のドーム公演のセットリストを見返してみたんだけど、
当時はセットリスト35曲中14曲しか「シングル曲」がなかったんだよね。*6

当時は「一夜限りのライブだから、当たって砕けろ」ってモードだったって岡野は言ってたけど、
もしかしたら今回は「胸張って言えるようになった」からこそ、
こういうシングル曲多めの、いわば王道のセットリストが組めたところもあるんじゃないかなぁ、、、なんてね。


そして今回の遍歴を、戦歴を見せたかった相手は、「あの少年」。つまり過去の自分なのかなとおもう。
だからこそ今回の1曲目はこの曲で。

あのロッカー まだ闘ってっかな?

そう問いかけた「あの少年」に対して、
20年間の怒涛の遍歴を、そしてたたかってきた相手との戦歴を、さらにはたたかい続ける理由を明示して、
最後の曲でかれに呼びかける。

あの少年よ こっちも戦ってんだよ

そんなライブだったんじゃないかなぁと。


* * * * * * *


ここでもうひとつ、この曲について考えていたときに思い浮かんだことがあって。

・「プッシュプレイ」
→2004年7月に作られた曲。
そして2人になってはじめてのワンマンライブ(ファンクラブツアーを除く)、
2004年の12月に行なわれた、5th Anniversary Special Live "PURPLE'S"で披露された新曲のうちのひとつ。
(そうか、もうひとつが"UNFADED"ツアーで披露された「東京ランドスケープ」だったよね)

この歌詞では「♪勝負の見えてきた現代は 立ちはだかる壁も探せない」、
つまり「今はわかりやすく立ち向かうべき敵がいない」と歌っているけれど、
そんななかでも「♪OK もう一度気を滾らせて 気持ちのギア オーヴァードライブする」と
自分を奮い立たせて闘っていくことを書いている。

いまさら思い至ったんだけど…
この歌詞、まさにこの時期の、二人でのリスタートの心境がそのまんま詞になったんじゃないかなぁ。
もう一度気を滾らせて「ポルノグラフィティ」として、ロッカーとして、闘っていくぞ、という決意表明の意味が入ってるんじゃないかなぁ。
つまり、結構気持ちの入ったというか、当時のかれらにとって大きな意味のある曲だったんじゃないかなぁ、と。

(なお、詞曲の新藤さん本人はカフェイレ*7のなかで「なんの気なしに作った」って言ってたし、
それが正解なんだろうから、きっと意図的なものではないんだろうけれど。
もしかしたら、無意識にそういう気持ちが言葉になった可能性も、まぁなきにしもあらずかなぁって。
つまりこれもファンの妄想です。あしからず)

脱線して、もうひとつ思い込みを話すと、、、
あのときの新藤の心意気がこの歌詞に現れていたとしたら、
岡野の心意気が現れていたのが、同じアルバム『THUMPx』に収録された「Let's go to the answer」じゃないかなぁ

情熱は変わんないぜ 今でも因島Dreamin'
冷めきったこの時代を飽きもせず焦がせ

そういう意味で、この2曲が15年目のツアーと20周年のライブで久しぶりに演奏されたということを
大きく受け取りたいなぁ、という気持ち。


話を戻して。
今回のライブ本編の最後の曲「VS」、その最後に重ねて歌われたのは、
「プッシュプレイ」のこのフレーズ(何回でも書きます)

あのロッカー まだ闘ってっかな?

勝手ながらに…最後にこのフレーズを加えた理由は、「VS」が冒頭の呼びかけに応える曲だったことを示すと同時に、
ここからまたこの声(=「あの少年」の声、若かりしころの初期衝動)に応えていくぞ、
メジャーシーンでたたかっていくぞ、という所信表明のように受け取っている。


* * * * * * *


以上、いまのわたしの最大限で対峙してみた結果です。

このライブから1年余りが経った今週金曜日。
次はどんな活動を、ライブを見せてくれるのかがほんとうにたのしみ。たのしみだなぁ

*1:というにはわたしがずいぶんと若輩者なんですが…でもそう呼んでもらってうれしいから、そう呼ばせてもらいます!

*2:盤の映像で何回か確認はしたんだけど、もし見まちがえてたらご指摘ください

*3:おそらく。なぜならはるいちくんの髪色が暗いから

*4:なぜなら今回のセットが映り込んでいるから

*5:この言葉がおかしい気もするが

*6:そこから倍の長さのキャリアを積んできたわけだから、当然今回よりもシングル曲の数自体は少なかった、というところはあるけれど

*7:2019.9.9

<2020年9月の読書記録>

さらっと数時間で読了。
愉しく読めたところはあるんだけど、どこか首を捻るところもあり。
著作を全部読めたわけではないから、大口は叩けないんだけど…
わたしが読んだなかではこれまでになく、スーさん個人の、個人的な文章なのかなと思った。個人的じゃないエッセイってなんやねんって話やけど。
社会に向けた発信というよりは、個人のチャレンジの記録、といった印象。
首を捻った理由、もしかしたらそのことが冒頭や見出しに書かれていなかった(読み取れなかった)からなのかもしれないなぁ。

【追記】
これは普段から聴いているラジオ(TBSラジオ「生活は踊る」)との比較になるんだけれど。
スーさんご自身のことをご自身で書いた文章だからこそ、ラジオのお話やこれまでに読んだ著作たちと比べて、筆鋒鋭く感じたのかなぁ、などと。


* * * * * * *


9月は仕事が忙しすぎた!
まじでほんとに仕事しすぎ、土日に仕事とかまさに人生における本末転倒、尋常じゃない(まぁ土曜出勤は今後もあるんだけど)
いまはライブも試合も(行け)ないからいいけど、今後はちゃんと調整するように。。。自戒を込めて。。。

そんななか、無理して行った映画館で観た2本に救われてる。
「Reframe」と東京事変のライブビューイング、どちらにもかけるなら、この1日で「再生」させてもらった気持ち。ありがたいや

<2020年8月の読書記録>

昔も今も (ちくま文庫)

昔も今も (ちくま文庫)

たぶん大学生以来の再読。
当時モームを知ったばかりのわたしは、すぐ手に入る本を夢中になって読んでいたところで、
この本が圧倒的に面白かったと感じたことを覚えている。
…その割にしばらく読んでなかったけど。長編ゆえになかなか手が伸びなかった。。。

そして今回読んでみて、やっぱり面白かった。お見事、とすら思う。
とはいえ、時代感覚にちょっと閉口したところがあったのも事実。そう考えるとこの何年かでの自らの変化を実感した、なぁ


「この本は課題図書」
この帯の言葉に全文同意してる。

わたし個人にとっても課題図書だと思う。ひとりの大人として考えないといけない種が、アップデートしないといけない感覚が、
こんなにもたくさん存在しているという事実を突きつけられてる。
振り返るとその重さや大きさにプレッシャーを感じることもあるけれど。

それと同時に、帯によると既に50万部発行されているようで、
もしかしたら同じように思っている人がそれだけいるのかな、と心強くも思っている。
そういう社会で生きたいです。そしてそこにいるための教養は身につけたい。身につけるための努力は惜しみたくない。


安心毛布 (中公文庫)

安心毛布 (中公文庫)

<2020年7月の読書記録>

魔法飛行 (中公文庫)

魔法飛行 (中公文庫)

1冊を通して灰色のイメージ(とりわけ前半にその色が濃い)
でもそのなかにどこかに飛んでいけそうな白い光も感じられて。
たしか初読でもそうだった、「しかし世界には〜」の回に圧倒される。
個人的な出来事があったのだろう(と推測される)とき、そのときの感情の入った文章は、こんなにも強い。


わたし、どうやら「繊細さん」だったようだ。

この本を手に取ったきっかけはふたつ。
まずは最上もがさんのInstagram、この著者さんの別著に触れてたのを目にして。
そしてちょうど同じ時期、たまたま本屋さんで見かけて立ち読みした『anan』のバックナンバーにて。

よくある「この質問のうち、いくつかYESと答えた人は『繊細さん』かも!?」といった類の質問コーナーを見たところで。
びっくりした、きれいに全部当てはまってやんの。こんなことあるんか。。。
驚いたところで、各種レビューも参考にさせてもらってこちらを購入。

たとえば、会社の電話を取るかどうかのくだり。
最近まで数年間、職場の電話係もする部署に所属していたところで、
まさにそう、"自分の仕事が遅い"から、キャリアの途中からは電話が鳴るたびに自分を宥めすかしていた。
「さっきワンコールで取ったでしょ、だからしばらくは自分がワンコールで取らなくていいのよ」と。
そしてこのことを面談で(割と理解のありそうな)上司にも話してみたものの、あまり腑に落ちない様子だったことも思い出した。
今となってはそのことも経験だ、と思えてはいるけれど。

苦手をがんばるのでなく、得意をがんばる、後者に近い環境に動けたことは本当によかったことだと思う。
在宅期間が終わったいまだからこそ、改めて。

なかには表現について引っかかる箇所もあったけれど、それも「繊細さん」ならではの反応なのかもなぁ、などと。
読んでよかったし、自分の味方が増えたような気持ち。ときどき読み返そうと思う。


装丁の美しさと、帯の文章を読んで「自らの状況に近しいところがあるな」と思って手に取った。
…きっと共感を求めていたんだと思う。でもそれは叶わなかった。著者のような道は選べてないし、選べそうにもないや。

たぶん、他人ごととして、違う環境や立場で読めたらきっともっとわくわく読めたんだろうなぁ。
近しい状況にいる著者と自分を比較することで、相対的に自らの価値観を見つめられた、という価値はあったし、
いくつかの言葉は響いて残っている。その言葉たちはたぶん、いまのわたしの環境だからこそ残ったものたち。

* * * * * * *



(画像がひっくり返る。なぜ。)
何度目かの直島、一度目のベネッセハウス(泊)。

直島はわたしにとってうってつけのリゾート地だよなと、何度目かの感想。
日帰りできるけれども、日常からは遠い場所で、
馴染みのある瀬戸内海の海景なのに、普段の生活ではお目にかかれない作品があって。

たぶん、港からフェリーで1時間というのがちょうどよい塩梅で。
おそらくこれより遠いと気軽には行けないし、
かと言って15分では近すぎる、なおあくまでも「リゾート」としての話

別荘のように、とはいかないけれど、ベネッセハウスをひとつ逃避行の選択肢にできると、よりよい生活になるのではないかなぁ


それにしても、こういう話ばっかりでブログを埋めてしまうこと、早半年以上。
そろそろどこかに行きたい、行ってたのしみたい。家にいるのは割とすきだけれど。なぁ。

<2020年6月の読書日記>

エレンの日記

エレンの日記

たしかこのtweetで知って、買ったのは広島の本屋さんにて。

美しい彫刻のような本で、それを眺めるような読書だった。
シンプルだけれども複雑で、ところどころ鋭利な切先があって、すっとひとり立っている。ただそこに立って、自立している、そんな本。

こちらになにかを投げかけたり、ましてや共感を求めることもない。
だからその切先に怖さや反発はない。こちらとは適度な距離感で、ただそこに"ある"だけ。

遠い世界の違う時代*1を生きていた記録。
それも含めて、わたしにとっては貴重な本だった。すきです。


ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

再読。前回読んだときの感想はこちら。

今回読後の印象が強烈だったのは「コネティカットの〜」。なんというか、胸を掴まれる思い。
笑い男」も「小舟のほとりで」も前回より強く印象に残っている。
今回はひとつ読むごとにWikipediaなどで解説を読みながら読んでみたところで、
いかに自分が物語の表面をなぞっていただけかを思い知らされた。痛烈に。


おめかしの引力 (朝日文庫)

おめかしの引力 (朝日文庫)

表題の朝日新聞での連載はちょこちょこ読んでたし、単行本でも通して読んだことがあったので、
「あぁこれこれ」といった馴染み深さを感じつつ。

文庫本で追加された、雑誌「ELLE」の連載と最後の対談部分、前半とのトーンの対比がすさまじい。
表題部分の連載で多く話されているのは、個人のこと(幼少期の思い出含む)だったのに対して、
こちらでは世界的メゾンのこと、そして社会のことへと、お話のスケールがどんどん大きくなるさまに圧倒されるなど。

もちろん(連載、そして対談の)場の力によるところもあるんだろうなと思いつつ、
どっちも大切なお話だし、耳を傾けていたいな、と
そう思わせられるのは、わたしが「未映子さんの文章」の読者だからなのかなぁ。


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世の中は少しずつ動きはじめているけれど、わたしにとってはまだまだまったく動いてなくて。
それはたぶん、ライブも試合もなくて、出かける予定もないからで。
それがあってはじめてわたしの「生活」が成り立つのかもしれないなぁ、などと。

そんななか、いちばん身近な「心の病院」へ、現地へ行けたことがどれだけ大きいことだったか。
改装工事が終わったばかりの、猪熊弦一郎現代美術館へ。


(撮影可の某展示作品をアップで撮影)(これだけ見てもさっぱりわからんね)(…)

中のつくりがほぼ変わってなくてうれしかった!
安心感のある天井の高さも、踊り出したくなる床も、何十分も眺めていられる窓の、そして展示室の景色も。
リニューアルしたカフェにはまだ行けてないから、近いうちにうち行くつもり。

こうやって少しずつでも、ひとつずつでもいいから、
これまで近くにあった(そして今回離れてしまった)しあわせが帰ってきますように。
そのためにも、新しいものを受け入れる努力もしないといけない、ね。

*1:こちらも生まれてはいたけれど

<2020年5月の読書日記>

Kindleにて、出先でちびちび読んでたのを読了。

ジェーン・スーさんのラジオを聴くようになって早5年くらいかしらん、
これがものごとにあたるときのスーさんと基本スタンスなのかもしれないなぁ、などと勝手なことを。

そしてスーさんがすごいと思うのは、この基本をどんどんアップデートしていっているところ。
日日のTBSラジオ『生活は踊る』をほぼ欠かさず(抜粋して、1週間遅れで)聴いているんだけれど、それが目に見えてよくわかる。すごい。
(と、偉そうに言ってしまったけれど、わたしも見習ってそうありたいです)

何事もソフトランディングできる点で、加齢は敵ではありませんでした。
(「あとがき」より)

そして思い出すのは、ビートニクスのこの曲のこの歌詞。

若き日は 生きるのに 手間がかかって
迷い込む道も たくさんある
(「A Song 4 Beats」THE BEATNIKS

https://sp.uta-net.com/song/120210/

この言葉を信じて、加齢していこうとおもうなど。

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なんだかんだで読了は1冊だったな。
完全在宅勤務の1ヶ月、県外はおろか隣町までしか出かけなかった1ヶ月。

<2020年4月の読書記録>

和田ラヂヲアンドレ・ザ・和田ラヂヲ』(和田ラヂヲ
絶版なのかしらん…?
広島の古本屋さんにて、書くのも恥ずかしいくらいの安直な理由で購入。
それでも面白さに間違いはなく。メェ〜〜〜〜〜


あーーー買ってよかった。
前半の穂村弘さんのインタビュー、そしていくつかの対談がとにかくよかった。面白かった。

読書は自分の知らないうちに出来上がってしまっている遠近感を捨てて、更新する力を持つものだと思います。

多和田葉子さんとの対談における川上さんのこの言葉に深く頷いている。

実はこの本を購入して読みはじめたのは、昨年の話で。
寄稿されたエッセイと論考をなかなか読み進められなくて(それぞれの著者が異なる文章だから、一回にひとつずつしか読めなかった)(という経験もはじめてで発見だった)
1冊読み終えるのにはずいぶんと時間がかかってしまったけれど、買ってよかった。


発光地帯 (中公文庫)

発光地帯 (中公文庫)

オモロマンティック・ボム! (新潮文庫)

オモロマンティック・ボム! (新潮文庫)

たぶん何度目かの再読。
未映子さんのエッセイは、こういうときにたしかなもののひとつ。(「こういうとき」って、まさにいまのこと)
近年のものよりも直接的な、生っぽいところがあって、
さくっと手軽に読ませてはくれない。けれども一気に引き込まれて、ページをめくる手は止まらない。
実際、今回はどちらも1日で読んだ(わたしには珍しい)


デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

本棚の本を読み返そうシリーズ。


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