Dreamin' Dawn

たいがいまぁまぁのポエム

<2022年2月の読書記録>

(読んだのはハードカバー。表紙が美しかったな)

久しぶりに小説然とした小説を読んだなぁ。
休日の午後、もしくは寝る前の時間のような、いまの日常と切り離された世界に浸る感覚。なつかしい。

そしてもうひとつ、叶わない気持ちを伝えることの暴力性が、美しく描かれていて。
ことさらに美しいからこそ、わが身を振り返って思うところもあって。

気持ちを伝えることがただのエゴだけになっていないか、
もちろん気持ちを伝えるという行為には、どうしてもエゴという側面はついて回ると思うんだけど、
純粋なエゴだけになっていないか、そしてそれを自覚したうえで行動できているか。これもわたしの課題だという自覚がある。
「言わないこと」が思いやりになることもあるんだよ。



実は、大学では政治学を学んでいまして。
(といっても、「専攻」という呼びかたすらできない程度だけれど)
(せいぜい、この本で書かれている「リベラル」と「保守」の話を興味深く読めるほどの、興味関心を育ててもらったくらい)

「政治」といわれると、どうしても「政策」や「政局」のことが頭に浮かぶけれど、そうじゃないんだよな、と改めて思う。
もちろん狭義の「政治」は、いわゆる永田町で行われているような話なんだけれど。
広義の「政治」は、人がなにかを共同で行なう際に必ず発生する「やりとり」のことだと思っている。
つまり、あなたもわたしも「政治」の当事者なんだと思っている。

なぜなら、人と人とが関わるとき、少なからずその関係性にはパワーバランスがあって。(もちろん「平等」という状態もそのひとつ)
その関係性によって、なにかしらの行為をしたりしなかったりしながら生きていて。

そのように相手や周りがあるなかで、ある行為をやるかどうか、やるとしてもどうやってやるのかは、
相手や周りとの関係性や、それに基づく交渉によるところが大きい。
この関係性や交渉(やりとり)こそが、広義の「政治」だと思っている。言わずもがな私見*1です。

そう考えると、社会で生きる以上、あなたもわたしも毎日「政治」をしながら生きているわけで。
そのことを改めて思い出させてもらった。



小説然とした小説が読みたくて(その2) 図書館で開架にあったので手に取った。
…しかし、途中から考え込んでしまった。これは小説なのか?いわゆる私小説というやつ?
いっそほぼエッセイ?(でも図書館では「小説」と分類されていたし)
その迷宮に入り込む面白さ。不思議な経験。



以前読んだときには単発で(ふらっと入ったカフェにて、なんの気なしにこの刊だけ)読んだので、当然ながら受ける印象は違っていて。続きが気になるなぁ。
お気づきかもしれませんが、これまで「漫画」という表現を自分から手に取る経験を、ほとんどしてこなかったけれど。そんな遍歴を軽く超えてくるなぁ。


* * * * * * *


2月。きつかった。
時期としては誕生日前から、つらくてつらくて毎日物理的に泣いていた日日。
具体的な理由(仕事)があってのものではあるんだけれど。

…ここまで書いて思った、まぁいまも渦中で相当しんどいんだけれど、毎日泣いているわけではなくって。
そう考えると、やるしかないと腹を括れてはいるのかなぁ…いるのかなぁ……と、信じましょうか。なんとか。

*1:というか、こういう考えかたは学説としてあるみたいだけど、この表現はわたしの認識によるもの