<2018年9月の読書記録>


読んでよかった。
ひとつずつ大切に読みました。
ライ麦〜」のホールデンつながりのお話たちは、個人的には「ライ麦〜」本編よりぐっときた。

そしてグラース家長男、シーモアの手紙。
はーーーー。このお話に、かれらにまた会えてうれしい。
たしかに長いし、話があっち行ったりこっち来たりと読みづらいところはあったけれど
(そしてこれを7歳が書いたとは…?というツッコミはあれども)、
それでも、それでもあのグラース家がそこにはいて、その世界にどっぷり漬かって、一気に読んでしまった。

はーーーー、遠征*1のときに本屋さんに立ち寄ることがあって、ちょっとお時間いただいて咄嗟に手に取ったんだけど、
スタジアム着いたころから、チケット完売の試合前にハードカバー買って荷物増やしてどうするん…とちょっと反省してて。。。
でもやっぱり買ってよかった。読んでよかったーーー。


著者の本を手に取ったのは、めっちゃ久しぶりのことで。学生時代に「女の一生(1部)」を読んで以来かなぁ
同じモチーフが何度も出てくるので、ちょっと既視感に手が止まるところもあったけれど、
それだけそのモチーフが著者にとって重要だったんだろうなとも。
それでもやっぱり文体が合うのかな、割と読みやすかった。
個人的には最後に収録されてる3編がすき。


* * * * * * *


あぁ、9月もいろいろあったなぁ。
ひとつ大きいのが"しまなみロマンスポルノ'18"であることは間違いないんだけど。
それはそのうち別記事で書くとして。
(ただこれ、ライブの感想文とライビュの感想文で分けるか迷うんだよなぁ)

年末、年明けに向けてもいろいろあるんだろうなぁ、といったところ。まぁなるようにしかならんよ。

*1:8月末のA神戸戦

<2018年8月の読書記録>

岳物語 (集英社文庫)

岳物語 (集英社文庫)

岳物語 (続) (集英社文庫)

岳物語 (続) (集英社文庫)

勧められて著者初読。自分ではきっと手に取らなかっただろうなぁ。
すごく読みやすかった。さらっと読めた。
連作になってるんだけど、一話ごとにふふっと、ほぉっと息をつきながら読む感じ。
なんというか、たしかに、ひとつの理想だなぁと思った。

個人的には『続』のほうがすきだなぁ。


* * * * * * *


はーーーーー終わった。2018年の8月が終わった。
ほんとなんだったんだろう…これまでに経験しなかったことが怒涛のようにやってきて、
そこに全力で突っ込んで、まぁいろいろあったけど、
一周回って元に戻ってきた、みたいなところかしらん…。

でもたぶん、一周回ってるうちにわたし自身がいろいろ変わったんだろうな、という感覚もあって。
まぁね、たのしいと思う時間が延びるのはよいことではないか、と思うことにしよう。
そのうちきっと節目はくるんだろうし。知らんけど。
いつかぜんぶ笑い話にして、笑顔で話せたらいいんだけれど。

というわけで6連勤最終日じゃ〜〜〜

<2018年7月の読書記録>

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

大部分を読んだのは今月になってからだけど、実は先月上旬に*1読んでた「バナナフィッシュ〜」が衝撃だった。
そこからページが進まなくて、しばらくしてから続きを読んでたんだけど。
もうひとつ、最後に収録されてる「テディ」が印象に残ってる。
そう考えると、このお話の選びかた、並べかたが秀逸だってことなんだろうなぁ。


ITALAN (限定盤)

ITALAN (限定盤)

CDの初回盤についてくる短編集。
「こどものはなし」がいちばん刺さった。


ウィステリアと三人の女たち

ウィステリアと三人の女たち

だれかを見送って生きているひとたちのお話たちだった。
表題作は雑誌に載ったときに読んだことがあったんだけど(読みはじめてから思い出した)(たぶん昨秋、豊島美術館近くのカフェにて)、
この著者の作品って、たしかに藤色のイメージがあるかもしれない。届きそうで届かない、掴めそうで掴めない、でも"掴めそう"なところにはある。


週末カミング (角川文庫)

週末カミング (角川文庫)


* * * * * * *

もう今月に入ってからいろいろあって、必死で先月のことを思い出そうとするも、思い出せない。。。
ひっさしぶりに遠征のない月だったなぁ。GLHのライブがめちゃくちゃたのしかったことが救い(救い?)だった。

今月も生き抜くぞ。行きつく先を目指して。

*1:尾道への道道

<2018年6月の読書記録>

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫)

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫)

数年ぶりの再読。
先月読んだ『フラニーとズーイ』、その関西弁訳(と呼ぶのが正しいのかはわからん)が収録されていると耳にして、
本棚から出してきました。

いつからか、読書してて気になった言葉や文章があったときには、ほぼ日手帳に書き留めているんだけど。
この本をはじめて読んだ大学生のころ、あまりにも書き留めておきたい箇所が多すぎて、
マスキングテープでばんばん印をつけてて。(そんなことをしたのははじめて)
そのあと読み返すごとにその印を見て「なるほどな」「あっそこなんや」と過去の自分と対話するような気持ちにもなってて、今回。
また新しくいくつか印をつけました。次に読むとき、どうおもうのかなぁ。


* * * * * * *

なんだかんだで忙しかった6月(いつものこと)
尾道からの因島からの尾道がとにかくたのしかった…正直、ここまでたのしいとは予想してなかった…
そしてはじめての尾道、めちゃめちゃよいところじゃないですか…


とはいえ、いまは大雨の被害がかなり出てるようで…おだやかな暮らしが1日も早く戻りますように。
尾道には近くまた行こうと思ってたところで(ライブとは関係なくね)。いまは必ず行こうという気持ち。

* * * * * * *

まぁでもここ直近の話でいうと、うぅむ
カフェイレ*1での新藤のこの話が刺さる、図らずも

(年齢)
俺、ときどきこうやって話すけど、29から30になるときは、なんか若さからの離脱、みたいな。
29歳までは若かったけぇ。…若い?じゃけぇ、高校生や中学生の延長で29歳までのイメージじゃったけぇ。
で、30になったらいよいよ若さからの離脱か、みたいなイメージじゃったんよ。そんとき。
で、30になったらちょっとどんよりしとったんじゃけど、まぁ30代を過ごしました。(後略)

やっぱり何者かにならないとだめかね、だめかねぇ、、、

*1:2018.6.25 OnAirぶん

<2018年5月の読書記録>

フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)


ラニーへの共感とズーイへの憧憬。これに尽きる。

「フラニー」の章は、どちらかというとうわ滑り気味に読んでいたところで
(でも読み進めるのが苦になるところまではいかなかった)。
「ズーイ」の章、ページをめくる手が止まらなかった。

ラニーの話を聴くうちに、ああこれはわたしがずっと抱えている(そのことに気づいたのはこの5年くらい、たぶん)ものと、
近しいものの話をしてるんだろうなと。
美しくないもの、完全でないものの存在を、心のどこかでは認められないんだ。
自分自身について、もういい大人なんだけど、まったくもって子供だよなと思うことが日常的にままあって。
きっとそれはここに起因してるんだろうなぁ。
(そう考えられるだけの客観性があることが救いかもしれないし、
それでもこのお話がリアリティをもって迫ってくる程度には目を瞑って生きている)
(そして、いまこの具合でこの本に出会えたことをとても喜ばしいと思っている)

そしてその妹に、いまの自分のすべてをつかって話して聞かせるズーイには、
きっと自力でそこへたどり着いたんだろうと思うと、やはり憧憬の念を抱かざるをえないな。
…実際にこんなふうに横で話して聞かされたら、きっとうんざりしてしまうだろうけど。苦笑
それはともかくとしても、清濁併せ呑むってほんとうに憧れる。とかくこの世は生きづらい。

それとは別の話として、すごく、村上春樹的要素の強い文章だなぁとも思った。
それがこの本を手に取ったきっかけでもあるし、ここまで響いた一因だとは思う。


女ごころ (新潮文庫)

女ごころ (新潮文庫)

再読。
フラニーとズーイ』に打ちのめされた直後に一気に読んだんだけど、
あんまり客観的には読めず、他人ごととは思えないな…という感想。
「相手のためになれば」と思ってやったことが、相手にとっては地獄を見せるようなことだったとしたら。
それは結局自分のために、自分の都合で、自分が楽しむために、自分が楽になるためにやってるんじゃないかって、
主人公・メアリイの行動を見て感じてしまったんだけれど、いまはなんだか身につまされるような思い。
前回はどんなふうに読んだんだったかなぁ。


キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

サリンジャーという作家を知ってしまったので。
フラニーとズーイ』よりは客観的に読めたかなぁ…
ホールデンの思考や行動に、あぁわかる、わかるんだけどそれはやっちゃだめ、とハラハラさせられながら読みました。
そしてこうやって話せるようになってよかったなぁ…と。もちろん、かれのなかではまだ終わってないんだろうけど。


* * * * * * *


5月はまたよく遊んだなぁ。名古屋福岡横浜。その間にこっちでもライブ行ったし。
横浜がほんとにたのしくて。まぁ久しぶりの横浜で勝ったからってのも大きいんだけど。

でもまぁね、『フラニーとズーイ』の衝撃がね。だいぶ叩きのめされたね。がんばろうね…

<2018年4月の読書記録>

城塞 (上巻) (新潮文庫)

城塞 (上巻) (新潮文庫)


武道館

武道館

読もう読もうと思いながらも、ずっと手にとってなかった本でした。

なんかもうねぇ、だれかしらの"ファン"を名乗ってる者として、これは読んでよかったんだろうなぁと。
ましてやこないだまでアイドルを(本気で、ただしぬるめに)応援してた者としては…
考えさせられるし、想像せざるをえないし、振り返らざるをえない。
そんなことは知っていたけれど、ファンはファンでしかないんだよなぁ。

そのなかで相手のためになにができるかなんて、そんなことを考えること自体がルール違反のような気すらしてくる。
もちほん、ファンにしかできないこともあるんだろうとも思うけど、けどね
(たとえば、ただの"観客"としてライブや試合に足を運べるのは、ファンの特権だと思う)


もうひとつのトピックス、選択することについて。
碧の言葉で思い出したのは、わたしにとって特別なミュージシャン*1の言葉。

「僕らも君らも正しいと思う方に進むしかないし、
それが正しいかどうかは選んでない方には進めんけぇわからん、
でも大事なのは進んだってことだし、
そうやって選んだ道の先でまたこうやって会えたらいいなって思います」

(※ライブでのMCを記憶を頼りに文字起こししたものです)

きっとだれにとってもそうなんだろうし、みんながそう思いながら日日選択を重ねて生きている、「これを正解にするしかない」と。
だからこそ、だいじなひとには、人に"選ばれる"ためになにかを選ぶのではなく、
自分がやりたいことをやりたいようにやってほしいし、自分で選んだ道を正解にしていってほしい。
それに対してどう反応するかは、そのときのわたしが勝手に決めることだから。自分で決めるから。
だからあなたにもそうしてほしい。

…こう言いたいよなぁと思って、言ってもいるけど、けどね。
実際に、そのひとがなにかわたしを揺るがすような選択をしたときに、どう反応するかはわからない。
でもやっぱり、"(その距離に関わらず)だいじな"ひとが取った選択は、時間をかけてでも受け入れられるようになりたいなぁ。
そしてそう思うからには、わたし自身も自分で選択して、選んだ道を「正しい」ものにしていかなくちゃいけないね。ね。

あと、一市民として。ポルノグラフィティの「Fade away」という曲を思い出した。


* * * * * * *


4月はなんというか、まぁまぁ苦しい記憶が濃いめに残ってるなぁ。後半がそうだったからかも。
いろんな場面で、周りのみなさまの優しさと、これまでの貯金(比喩)で生き抜いた感があるなぁ、、、感謝するしか、、、

また1ヶ月生き抜きましょう。そうやっていつか会える日まで、なんとか元気でいたいものです。

ポルノグラフィティ 15thライヴサーキット "BUTTERFLY EFFECT" に関する雑記

香川、山口、広島2日目、大阪初日、徳島、福井と、このツアーに6本参戦して、その感想文を書くうちに、
気になったことや考えたことをいくつか、トピックス的に書いてみました。
自分が参戦した公演毎の、というよりは、各公演を通しての、セットリストや演出など、共通部分についての話です。
念のためお断り、まったくの私見です。
映像は未視聴なので、また後日増える/変わるかもしれません。


* * * * * * *


◆「夜間飛行」の演出について

今回のセットリスト1曲目。このツアーの世界観に一気に引き込んでくれる曲。
そしてそのための凝った演出。おおまかにいうと、
ステージ手前(メンバーと客席の間)に紗幕があって、そこには泡の映像。
メンバーの上には、明滅する豆電球が数個ついた紐のようなものがたくさん吊られている。
メンバーの後ろにも幕、そこには水面のような映像。
これは、ステージ上のメンバーが水中にいるってことを表しているんだと思うんだけど。

なぜか(個人的に)ツアー最終戦でいきあたった疑問があって。
そもそも、なんでこの曲にこういう演出で、水の中を表現してるんだろう。だって「夜間"飛行"」なのにね。

…このあとだらだらと書いていますが、先に言っておくと、答えは出ていません。
こんなふうに、ここまで考えてみたよ、という道筋の記録を一旦残してみます。
ほら、記述式問題の部分点狙いのような。


この演出からまず思いついたのは、このあとに演奏される「Part time love affair」の歌詞、
「♪泡のようにはじけてく『Why?』」そして「♪Wの海底」
でもそれがこの曲とどういう繋がり、共通点があるのかは思いつかない。。。
強いていえば、両曲の主人公と恋人(仮)の関係性かなぁ…
「夜間飛行」は主人公が女性で、「Part time love affair」は男性という違いがある(いっそ対になってる?)けど、
どちらも道ならぬ恋の曲、ってことかなぁ…
うぅむ、、、考えるほど「Why?」の海に沈んでいくばかり、、、
あっ、この演出、メンバーは水中というよりは海底、水底にいるって感じはあるかも。


と思ったところで思い出した、このあとのセットリスト(ライブ中盤)で披露される
朗読(ポエトリーリーディング)のなかの一節

海底から見上げた魚は 空を飛んでいて
空から見下ろした鳥は 海を泳いでいる

ぼかして書くけど、会報67号での新藤のこの曲に関する話を読むと、
この曲の主人公は飛行機に乗ってるのではなく、飛行機を見上げてるのかなぁと思ったことを思い出して。
それってこの詩で海底から魚を、そして空を見上げるさまと重なるよなぁと。

そしてもうひとつ、この詩での空と海の対比が、この曲にこの演出(映像)っていう対比に似てるなぁと。


そう考えてみると、今回のセットリストには「空」を連想させる曲と「海」を連想させる曲がそれぞれあるんじゃないかなぁ。
ぱっと思いついたものを並べると
「空」
・「夜間飛行」
・「ギフト」(「♪最初に空を飛んだ鳥は〜」)
・「キング&クイーン」(「♪誰よりも高く飛ぶんだ」)

「海」
・「Part time love affair」(先述のとおり)
・「Fade away」(「♪海面を突き破って〜」)

余談気味に…そのほかでいうと、
「メリッサ」は「空を見て迷うばかり」の主人公が、
羽ばたく鳥に対して「お前の背に俺も乗せてくれないか」とうたっている(="俺"は飛べてない、「地を這うばかり」)
「Rainbow」と「ハネウマライダー」は空でも海でもない、陸を「走る」うただよなぁとか思いつつ。

そして「月飼い」、この曲は「空」も「海(水上)」も思わせるんだよなぁ。
「♪君とならば行けると思っていた暗雲の先」、「♪月を空に返した」、「♪小ぶりな月が水面に浮かぶ」とか。
そもそもサビの「♪東から漕ぎ出した船は」っていうのが、空に浮かぶ月を海に浮かぶ舟にたとえてるんだろうなぁと思うの。


ここまで考えて気になったのが、「海」を連想させる曲がセットリストの中盤に固まっていること。
その一方で空をイメージさせる曲は、その直後の"希望のうた"ゾーンの何曲かで出てきて、そこで「飛んでいる」こと。

そう…考えると、うーん、飛ぶために一度水中に潜るようなこともある、
場合によってはそういうことも"必要"、ってこと、なの、か、なぁ。
それをライブの1曲目の曲と演出の対比で暗示してる…ってことはないかなぁ…(弱気)(ここまで書いといて)


あっ、でもこのセットリストの「空」と「海」の曲の並びのなかで、唯一の例外がライブ冒頭で演奏される「夜間飛行」。
ただし先述のとおり、この曲で主人公は飛んでない(と思う)

となると、「飛んでない」ことを強調するために、主人公が飛行機を見上げる側にいることの象徴として、
飛行機が飛んでいる「空」と対になる、「海」、水中にいるさまを表してる、のかなぁ。


もしくは…もういっこ気になってたのが、手前の紗幕に映る泡の映像。
曲頭から降りてきてた泡が、大サビ前の「FLY」のあとで上がっていくこと。

もともと、個人的にこの大文字の「FLY」は、命令文のようなものかなと思ってて。
管制官が出す司令というか、もしくは魔法の呪文というか、そういう意味なのかなと思ってたんだけど。

この「FLY」という言葉は1サビ前にも2サビ前にもあるけれど、
ここでうたわれるその言葉は、なんというか渾身の、しぼり出すような「FLY」で。
それはもう、"お願いだから"とか、"頼むから"とか、そういう言葉が続きそうなくらいに切望している感じがあって。
そしてその言葉に続いて、ずっと降りてきてたあまたの泡が一斉に上がっていくんだよね。空へ向かって。
そう、言ってしまえば"飛ぶ"んだよね。念じた「FLY」が通じたかのように。


…これだけ考えてみても、正直どれも腑に落ちたわけじゃなくって。
どなたさまでも、なにか思いついたことがあったらぜひお声かけください。。。


* * * * * * *


◆「月飼い」について

今回のセットリスト13曲目。
今回のライブで最も衝撃的だったのはこの曲の披露だった、というファンも多いのでは。わたしもそうです。
その理由を言葉にしてみますよ、という項。

この曲は、2003年リリースのシングル『メリッサ』のカップリング曲。
リリース直後からファンの間でとても人気のある曲で、個人的にもすきな曲。
新藤の詞世界も、Tamaちゃんの曲も、そして岡野のうたも、そのすべてを等しく同時に堪能できる、
まさにわたしのすきな”ポルノグラフィティ”にどっぷり浸れる、そんな曲。

ライブで披露されたのは今回が3回目。
1回目は2003〜2004年にかけてのツアー"74ers"、
2回目は2009年のツアー"ロイヤルストレートフラッシュ"(以下、ロイフラ)。

"74ers"はこの曲のリリース後、最初のツアーだった、として。
ロイフラではファンが聴きたい曲だからやった、はず。
ロイフラ直前に行なわれたファンクラブツアー(FCUW3)での「シングル以外で聴きたい曲」アンケートで、
非常に人気のあった曲*1だったから、
そのリクエストに応えて、まぁ言うなればファンサーヴィス的に。

そして今回。もちろんあくまでも勝手な推測だけど、
今回はかれらがやりたくてやったんじゃないかなと思っている。
「ファンに人気の曲だから」ってことは、極端にいえばそんなことは考えずに。
"いまの自分たちがやりたい"ライブの構成に必要だったから、あくまでもそちらありきで、そういう状況で、
この曲を選んで、こういう演出でやったのかなって、そうおもうんだ。

なぜなら、この曲前のポエトリーリーディングこそが、いまの新藤個人がやりたいことなんだろうなと思ったし、
そこで表現したいもののためには「月飼い」という曲が必要だったから、
今回、リリースツアーにも関わらずこの曲をああいうかたちで演奏することを選んだと思うからです。
繰り返します、個人の感想です。

以下、もしそうだとして、という仮定の話をします。


◯あちらのやりたいことと、こちらの観たいものが一致したこと
もちろん、ファンの希望に沿ってくれるのもうれしい。こちらのことをちゃんと考えてくれてるんだなって思えるから。
それとは別で、かれらのやりたい曲とわたし(たち)の聴きたい曲や観たい演出とが一致していた、って、
もしそうならそりゃあうれしいじゃん。
自分にとってだいじな曲を、あちらもだいじに届けてくれること。そんなんめちゃめちゃうれしいよ。


ポルノグラフィティというバンドが、オリジナルアルバムのレコ発ライブで、
過去曲にこれほどまでの意味をもたせて演奏すること、言うなれば、ヘソ曲にすること。
レコ発ライブのなかでそういう手法を用いること。
そうしてくれたらいいのになって、ひとつの手段として、選択肢として取り入れてくれたらいいのになって、ずっと思ってたから。

おそらく、このライブで「ポルノグラフィティ」として客席に届けたいのは、「希望のうた」たちだったんじゃないかと思ってる。
なかでも「キング&クイーン」、言ってしまえば、あそこでああいう風にあの曲を届けるのが、このライブの主題だと思う。
でもそれとは別で、極端な言い方をすると、表現者としてのエゴもあって、今回この曲をやりたかったのかなぁと思う。
あるいはもしかしたら、その「希望のうた」への道のりには必要だと判断したんじゃないのかな、「月飼い」という曲が。
そこでこの曲を選んで、出してきたってことがうれしい。そういう選択肢を揃えたこと、そのなかからこの曲を選択したこと。


◯「月飼い」という懐かしい曲を、新しいかたちで聴かせてくれること
演出も含めて、これまでの演奏時とは違った意味をもたせてたと思う。
演奏もそう、個人的初戦の香川でびっくりしたの、ものすごくロックだった。この曲ってこんなにロックだったんだ、と。
懐かしい曲を新しくやること、懐かしい曲で新しいことをやること。
個人的な話で失礼、これ、FCUW5のアンケートで書いたんだよね、「ポルノグラフィティへの今後のリクエスト」っていう項目で、
「過去の曲を新しい形で聴かせてくれたらうれしいです」って。
今回、望みうる最上のかたちで叶えてもらってるじゃんか…!


つまり、今回のツアーにおけるこの曲をこれほど大きなトピックとして捉えるのは、
単に「これまであまり演奏されなかったすきな曲、"ファンの間で言われる名曲"が聴けた」というだけではないんだよ。という話。
ほんとうに、何重もの意味でうれしいんだ…


* * * * * * *


◆「170828-29」について
大阪初日のあとかなぁ。この曲についてちょっと考えてて。
そこでこの曲の解釈…自分なりの解釈を、言葉にしてみる機会があったので、ここに置いておく。

ミサイルがいつ飛んできてもおかしくない世界で、自分はいったいどうすればよいのか。
守りたい人がいるから、丸腰でやられるわけにはいかない。
でも現時点では「華奢な傘*2」しかないし、それをどうにかする(ことを検討する)ためには時間が必要。
そもそもの話、戦争なんて時代遅れなことをいまこの時代のこの国で考えなきゃならんのか。
そんなことを言っているいま、まさにこの瞬間も、「ミサイルがいつ飛んできてもおかしくない」という現実を生きている。
それでも、たとえどんな状況でも、「ピースピース」と口にすることはやめちゃいけない、
言いつづけなきゃいけないんだ。

それぞれの曲について、なんとなくの解釈、読み解きってもってるんだけど、こうしてちゃんと文章にしてみたことって意外となくて。
さらにはこれを(Twitterで)書いてみたら、まわりのひとの解釈を聴かせてもらう機会があったんだけど、
それぞれがちょっとずつ違っていて、それも面白かったなぁ。


もうひとつ、「♪戦場からインスタグラム」のくだりに関して思ったことも置いておく。

○ここって「戦場」と「インスタグラム」の対比かなと思うんだけど、いま思いつく対比がふたつあって。
・「戦場」に対する「平和」の象徴としての「インスタグラム」
・「戦場」が時代遅れなもの、それに対して時代の先端(今時)なものとしての「インスタグラム」
("時代遅れ"は一行前の歌詞から。「戦場に子を送り出した母が涙する」というシチュエーションがもはや時代遅れな話だ、ってことなのかなと)

○「決して映えはしない」と「ピースピース」も含めて
戦場からのインスタグラムにも、自撮りや仲間との写真を載せるとして。
そういう写真で定番のポーズといえば、ピースサイン
戦場でインスタグラムのために掲げられるピースサイン。その違和感、むなしさ、"映えなさ"たるや。


…とかなんとか言ってたらあの福井だもんね。ほんとにね。なにがあるかわからんもんよ。


* * * * * * *


◆"74ers"との関連性

…当初はこのことを書こうと思ったわけではなくて。
「このツアーは長くファンやってきた人ほどぐっとくる」的な話をちらちら耳にしてて。
言いたいことはわかるんだけど、なにかがわたしの考えとは決定的に違う、と思ってて、
それがどう違うか書けそうなので書いてみた、ら、"74ers"との関連性の話が大きくなってしまったので。
便宜上、こういうタイトルにします。


そもそも、あるライブに対して、それがぐっとくるかどうか、どんなふうにぐっとくるかは観る人によって違う。
それにはいろんな要素があると思うけど、ファン歴を含めたそれまでの人生経験も、当然ひとつの要素としてあると思う。
それはいかなるライブでもそう、当たり前のこと。
(ほら、みんなだいすき「カメレオン・レンズ」の1番Aメロを思い出してみて)
だから「ぐっときた」度合いなんてものは比較できないし、一概にファン歴で語れるものでもないと思っている。

ただ、今回のライブに関していえば、
過去のツアー"74ers"を経験したかどうかで、感じかたは変わってくるんじゃないか、とは思う。
(※言うまでもなく個人の感想です)
もっとも、それが現地参戦か、映像を通じた経験か、
もっといえば、たとえば現地参戦してても、その前のライブに行っていたかとか、そのツアーに行った回数だとか、
その他いろいろ、そこの違いもあると思うけど。

なぜなら、このツアーはどうしてもわたし自身の経験のなかの"74ers"を思い出させるから。
「ワールド☆サタデーグラフティ」や「月飼い」という曲目、これまでにない試みも取り入れた演出("ショウ"要素も多分にある)など。
そして依然書いた記事の繰り返しになるけど、ライブ前のインタビュー(ナタリーのアルバム特集)での新藤の言葉。

natalie.mu

「Real Days*3」での新藤の言葉と重なるところは大いにあると思う。

さらに脱線してわたしの話をすれば、"74ers"が人生初ライブで、当然めちゃくちゃ思い入れがありますが、
今回のツアーも、それはもうめちゃめちゃぐっときた、だいじにしたいツアーでした。
だから(個人的な)ツアーの最初と最後には、"74ers"のツアーTを着て行きました。
そして、実はこないだの福井にて、それに関連した理由でちょっと絶望もしました。数曲後には元気になったけど。(詳細は福井公演の感想文にて)


話を戻して。
繰り返すけど、ファン歴が違ったとして、だからわたしのほうがぐっとくるとか、あなたのほうが思い入れがあるとか、そうは思わないです。
でもたぶん、ほかのライブと同じように、ひとによってみえるものは違うと思う。
たとえ同じ公演に行っていたとしても、隣の席で参戦していたとしても。
だってそれぞれが"色を変えたり歪めたり"しているはずだから。あなたもわたしも、きっとあのひとも。

だから、わたしは自分が感じたことをだいじにしたいと思うし、だいじなあなたの感想が聴きたいんです。それが同じような内容でも、違ってても、聴きたいんです。(完)


* * * * * * *


こうして考えるポイントをたくさん提示してくれる、こういうたくさんのしかけのある、示唆に富んだライブをしてくれて、
それをこうして受け取れてこころからしあわせです。
だからこそかれらのライブは何回でも行きたいし、どの席でもたのしめるんだ。
もちろん受け取れてないところもあるんだろうけれど、いまのわたしのベストがこれです。

きっとこれまでのツアーもそうだっただろうし、今回のこのツアーでもそう、いまのかれらのベストを出して届けてくれるんだろうから、
わたしもそれに現時点でのベストで応えたいと思って参戦してました。(2010年TARGETツアーのときからそう)
(ちなみに…単発ライブでもそうなんだろうけど、ツアーのほうがその心意気は強いんじゃないかなと思う。
だから毎回、ツアー初戦は「かかってこいや!」という気持ちで臨んでいる)

今回はそれが出来たとおもえているから、ファンとして自信をもっていられるし、
そしてこれからもそういう関係でいたいと、おこがましいながらに思うんだ。


このツアーはほんとにすきなツアーで、これからもずっとずっとだいじにするツアーだと思ってるし、
正直この4ヶ月(17年12月〜18年3月)は、このツアーにめちゃくちゃ助けられた。救われた。何回も。
だから今後の人生で行き詰まったときのために定演してほしい、とすら思うんだけど。(映像化はよ)

きっとかれらにとっての「ポルノグラフィティ」の完成形はこれではないし
(だから次へ進む、次のライブが具体的に決まってるんだと思う)、
わたしもそこへ一緒に進みたいです。
そのためにはまだまだ、次のライブまでにまだまだがんばらないといけないな。

とにかく、39公演を完走できてほんとによかった、よかった。
毎回その場でも伝えてきたけど、まだまだ伝えたいよ。いつもありがとう、ずっとだいすき。

*1:ソースはたしか会報だったと思うんだけど…見つけられてない

*2:これは「核の傘」とかけているのだろうか…?

*3:"74ers"のツアードキュメントブック