頼りにしている本屋さんの「ミシマ舎フェア」で購入。
mishimasha.com
そのコーナーにはおみくじがあって、くじにはミシマ舎のさまざまな書籍から抜粋された一節が書かれていて。
引いたくじに書かれていたのが、この本のこの一節。
ミスマッチを「悪いこと」だと考えるから傷つくんです。人生はミスマッチだらけです。
こんなん読むしかないでしょう、とそのままレジへ。
ただし購入は昨年の話、そこからちょっとずつちょっとずつ読んでいた。
全八章の構成、なかにはさまざまな場所での講演をもとにした章もあって、
「神仏習合」や「農業」など、これまでてんでご縁のなかった内容も出てきた。
それでも興味深い箇所もあり、ぼちぼちと読み進めていたところで、第八章のほんとに最後。
はっぴいえんどの話が出てきたことで、腑に落ちた。
この本で書かれているのは、(この十数年追いかけてきた)細野さんが言ってることだし、やってることなんだ。
だからこの本を手に取ったのかな、と思うのは運命論者が過ぎるかもしれないかしらん。。。
まったく新しいものをつくることではなく、別のものを組み合わせて新しいものをつくり出すことに価値がある、って、
どこかで細野さんが言ってらしたと思うんだけど。
これがこの本のいう「習合」なのかもしれないな。
10月下旬、ポルノグラフィティの愛媛公演翌日に購入し、そのまま読了。
ギタリスト新藤晴一さんのMCで、この本の登場人物のセリフが取り上げられていたのがきっかけ。
それにやっぱり、他人を通して自分と向き合うってことが大事なんじゃないですかね。他者の傷の物語に、これこそ自分だ!って感動することでしか慰められない孤独がありますよ。
そんな経緯があるので、前置きとして、どうしてもこの本のことを話してくれたギタリストのことを念頭において読んでしまっていた。
そのなかでMCで触れられた部分はもちろん、登場人物それぞれの「芸術」に関する話が、心に残っている。
城戸の「芸術とは、そもそも広告的なのではあるまいか?」という問いの立てかたに感心させられながら、
「息子の作品は実際の経験から生まれたのか、それすら空想なのか」という問いを頭に浮かべながらも、
自らの救いとして文学を見つけた息子を讃える涙を浮かべる里枝にも気持ちを寄せて、
そしてなにより、美涼の「自分で好きな話を考えて、それに自分の気持ちを込められるっていうのは、一種の才能ですよ。」という言葉。
そうなんだよ。作品をつくって、そこに自分の気持ちや想いを込められることは才能なんだよ。
そしてわたしはずっとその才能に尊敬の気持ちを抱いているんだよな、って。
そう思うと、上記松山のMCでの言葉「これからとみんなの気持ちを乗せられる作品を作って、(傷を)癒せたらいいなと思います」だなんて、
うれしいのと同時に、ただただおそれ多い気持ちもある。。。
それでもファンとしては、思いつきだから…と躊躇う気持ちすら隠さずに、だいじに話してくれる関係性も含めて、心からうれしい。
ありがとうございます。
…本の感想としては脱線してしまったけれど、ほかにも考えさせられる言葉はたくさんあって。
物語としては結構複雑だったので、機会があれば映画化された作品も観てみたいです。
ポルノグラフィティ大分公演の日、いつか行ってみたかった大分駅前のお店(ブックカフェ?)にて読了。
辻山さんの連載や本を読むと、荻窪の本屋Titleさんに行ってみたい気持ちが増すばかり…!そろそろほんとに行かないと。