Dreamin' Dawn

たいがいまぁまぁのポエム

<2023年7月の読書記録>

買うつもりはなかった。いつかそのうち図書館で借りて読めばいいじゃん、と思っていた。
なぜなら教授、坂本龍一さんのファンではないと自覚していたから。

でもやっぱり発売日には本屋さんに行ってしまった。1冊だけ見つかった。手に取るしかなかった。
だってそれくらいにはYMOYellow Magic Orchestraがすきだから。もっというと、わたしがYMOをすきになった時期の話が書いてあることを知っていたから。

…誤解をおそれずに言うと、わたしはやっぱり教授のファンではなかったのかもしれないな、と改めて。
もちろんすきな曲はあるんだけれど、「坂本龍一さんのファン」というのはちょっとちがうかもしれない。

音楽に関しては、やっぱりわたしは基本的に「ポップス」がすきなんだよな…と。
同じタイミングで、細野さんのお話を読んでなおさらに思わされる。うん、そう、わたしは細野さんと幸宏さんの音楽がすきなんだよなぁ。

filt.jp

(余談、こちらもインタビューをまとめたWEB連載だけれど、
 インタビュアー含めて細野さんの連載が読みやすいなと思った。門間さんの文章は読みやすい。ずっと入ってくる。
「やがて本になる」とあるけれど、本で読めるのもたのしみな連載)


話を戻して、それでもこの本は読んでよかったと思っている。
その理由のひとつは、政治と音楽(芸術)についての教授の考えかたを、改めて知ることができたから。
恥ずかしながらすこし前まで、教授といえば音楽を使って政治的な発言をすることを憚らない、というイメージをもっていたんだけれど…
それは誤解だった、ということを改めて知ることができた。

政治的なメッセージを作品に託すといったストレートな意味ではなく、政治から自立した、普遍的とまでは言わずとも、息の長い世界があるのだと示すこと。
(中略)
世界が困難に直面したときに音楽やアートがあることが、人々にとってどれほどの救いとなるか──おそらく政治家にはなかなか分かってもらえないでしょうが。

本当にそう思う。こうして本にしてくれてよかった。



新藤晴一さん原作・プロデュースのミュージカル「ヴァグラント」観劇の予習として購入。

vagrant.jp


この番組自体は継続して追っかけで見ていて、「まれびと」といえば折口信夫、という認識はあったものの、
正直なところ流し見していた回だったので…改めてテキストを購入した次第。

これは…難しいぞ。
今回理解したかった「まれびと」については前半で触れられているので、そこはなんとかくらい付いたけれど、
後半はまだ全然理解できていない気がする……。

それでも前半について、まとめてみようと思う。


折口のいうところによると…

◯「まれびと」とは
・「稀に来る人=珍客」という意味だけではない
・「ひと」という言葉は「人間」という意味に固定される以前、「神」「継承者」の意味も含んでいた
・つまり「まれびと」=「珍客」のなかには「神」も含まれる


◯「まれびと」は「異郷」からやってくる
・「異郷」は人びとにとってあこがれの対象、かつ恐れの対象でもある
・「異郷」には「他界」も含まれる
・「他界」とは、人が生きているうちには行くことのできない永遠の場所


◯「まれびと」が尋ねてくるとき
・人びとはもてなそうとして、それ相応の準備をする、その行為が「文化」をうみ、発展させてきた
・「文化」の一例
:神さまを招き寄せるための目印(お祭りのときに旗を立てる、竹ざおに飾りを付けて立てる、山鉾、山車、盆提灯、門松など)
:ときには歌などを通して神に自らの想いを伝える
:神さまから授かった言葉(後述)を後世に伝える(そのために「文学」が生まれた)


◯「まれびと」はなにをしに来るのか
・「まれびと」は神からのメッセージ、つまり「呪言」を届けにやって来る
・その一方で、人間の側から神さまに献上する「寿詞」もある
・つまり、言葉は神から人への贈り物になり、人から神への贈り物にもなる
・なぜなら、言葉に力があるから、下賜品にも献上品にもなる
・ここに「言霊信仰」=「言葉自身が魂を持っているという考えかた」のルーツがある


◯「いわふ(祝う)」とは
・もともとは「魂を鎮めるために精進潔斎すること」
・つまり「客人をお迎えするために掃除をして、身を清め、心を研ぎ澄ませること」の意味
・その一方で「主人が無事に帰還することを祈ること」でもある
・それらを起源として「幸せな状況をみんなで喜び合うこと」という意味になった


うぅむ…今回関わりがありそうなのはこのへんかしらん。
ちょっとこれは舞台を観てからもう一度読んでもいいかもしれない……難しかった。

<2023年6月の読書記録>

みんな、幸宏さんのことだいすきなんだよね。もちろんわたしもだよ。


定期的にごはんを食べに行くお店にて、ついに読み通した!
やっぱこういうの憧れる〜〜〜!けど、なりたいとは思わなくて(思えなくって)
わたしにとっては近くて遠いお話、でもめちゃ面白いんだよね。

<2023年5月の読書記録>

4月、神戸で時間があったので、三宮の気になっていたカフェに…向かう前に、書店で購入。
そのときは「ファスティングもどき」の話がおもしろすぎて文字通り抱腹絶倒、静かなカフェで大変困ったものでした。
いやぁ今読み直してもおもしろい。後述するPodcast「OVER THE SUN」で内容は知ってたけど、それでもおもしろい。

そんなふうにうかうか読んでいたところで、ハッとさせられる場面もあり。
具体的には、自分がとことん会社員だと自覚させられたんだよなぁ それがよいとかわるいとかじゃないんだけど。

今の自分が「沖に出る」気はさらさらないし、そのために必要なものはなにも持ち合わせていない、
ただ、そのことをそのまま思い知らされた。


そして、この本とはすこし外れてしまうかもしれないけれど。
「OVER THE SUN」を聴きはじめたころ、
まさか自分が堀井さんのエッセイを購入して読む日が来るとは思わなかった。(念のため、堀井さんが書くと思わなかったから、ではないです)
それこそジェーン・スーさんがよくおっしゃる通り、堀井さんは絶対に仲良くなれないタイプだと思ったから。

もともと土曜日のTBSラジオ『相談は踊る』きっかけのジェーン・スーさんのファンで。
その後『生活は踊る』、そこから「OVER THE SUN」へやってきたところで、
正直、「堀井さんは違う世界の人、きっと実世界では関わろうとしないタイプだな、、、」と思ったことが何度かある。

ただ、Podcastを聴きつづけると変わってきた。
違う世界にいても同じ次元で話ができる人はいるし、ちがう世界にいるからこそ面白いことを教えてもらえるんだ、と気づかせてもらった。

たとえばこの本のこの一節。

ちゃんとした理由もないが、ある時なぜか、髪だけはちゃんとしようと心に誓ったのだ。申し訳ないがそういうことなので、髪のケアへの散財は大目にみてほしい。

こうして引用すると、ツッコみたいところはたくさんある。
「ちゃんとした理由ないんかい」「ある時なにがあった…?」「申し訳ないってどこに対して…?」

ただ、今はこれを読んでも「堀井さんらしい」「堀井さん節」として笑わせてもらえるようになったし、なんならこうして引用するくらい、たぶんそこが、この堀井さんらしさがすきなんだろうな。



ファスティングもどき」のお話はEp.85です。とってもおもしろいしおかしいのでぜひ。

ポルノグラフィティ 18thライヴサーキット"暁" @ 高知県民文化ホール・オレンジホール(221209)


ツアー6本目にして本編最終節、1階17列上手側はたぶんスピーカー前にて。

続きを読む

<2023年4月の読書記録>

Webサイトの連載を元にした本。連載をずっと読んでいたので、書籍化すると知って発売日に買いに行った。

kinomegumi.co.jp

「今日の」わたしにも効いてるし、たぶん「いつかの」わたしにも効くんだろうな、という文章たち。
実際に、昨年はじめて連載で読んだ内容を、今回読み直して、改めて効いてきた部分もあった。
実家ではなく自宅の本棚に、手元に置いておきたい本。

そういえば、スーさんの本を紙で買ったのははじめてかも。。。


* * * * * * *


世の中にはいろんなひとがいるし、人生いろんなことがあるもんだ、と思った1ヶ月だった、ということだけは記録しておく。

<2023年3月の読書記録>

これまたPodcast番組「OVER THE SUN」より。
購入したのは昨年10月の大分遠征時(!)、ギタージャンボリーへ向かう飛行機の中で、ようやっと読了。


まぁその、慣れないヘミングウェイの文章で、なかなか読み進められなかったところで、いやぁ…ねぇ。
最後に怒涛の「OVER THE SUN」関連フレーズの連発で。あっぱれ。




有り体にいうとサリンジャーのファン、発売から割と早いうちに購入していたものの、帯にこんなこと書かれてたら読み進められないよね、もったいなくて。

これが最後の9つの物語

いやぁ、「ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない」がだいすき、これぞサリンジャーの醍醐味!って快哉を叫ぶような気持ち。
その一方で「逆さまの森」、読んでる途中で気がついちゃって、あぁ…って思いつつも手は止められず、
サリンジャーらしいかと言われると疑問符はつくけれど、それでも読書をたのしんだのは事実。

没後のこの時期にもかかわらず、本棚のサリンジャー・コーナーに1冊増えたことのよろこびとありがたみ。だいじにしよう。

<2023年2月の読書記録>

昨年末、「今後の自分の課題は、自他の分離だと思うんだよなぁ…人は人、自分は自分だと割り切ること」と話していたところで、おすすめしてもらったのがこの本。
すぐに手に取りたくて近場の新刊書店で探すも見つからず、ダメ元で調べたら図書館にあった…!

しかしまぁ、これは…どんぴしゃでは。

アドラーといえばビジネス本、というイメージが強くて、
いわゆる「ビジネス本」「自己啓発本」からは距離をとってきた身には、正直ちょっと抵抗もあった。
…いうて「自他の分離」の必要性を感じたのは、仕事に関するところが大きくて。
その時点でわたしも、「ビジネス本」としてこの本を読んでるのかもしらんけど。

とはいえ、仕事もそれ以外も含めて今年掲げた目標のひとつは「自他の分離」
「ひとはひと、自分は自分。だからこそ自分が選んだ道を、自分で正解にしていくこと」



というわけでまぁすすめられたし、と素直に読んでみたんですが。これは…どんぴしゃでは……。

たとえばこれ。

他者と関われば、必ずそこに摩擦が生まれ、憎まれたり、嫌われたり、裏切られたりといったことが生じます。
そうなって傷つくのが怖いので、「他者と関わりを持たないようにしよう」と考えるのです。そう思うために他者を敵と見なさなければならないのです。

ほんまそれな……。
もう書くのも恥ずかしいくらいだけれど、元来あまり人と関わりたくない、そして人に興味がない*1タイプのわたしのことですね…。

「他人との関係のなかにしか、生きる喜びや幸せはない」
あぁ、そのとおりだってことも知ってはいるんだけれど。だからこそ相手を選んで、関わるようにはしているつもりだけれど。。。ううっ



そして読んでいくなかで、ジェーン・スーさんから聴いたお話と重なる部分も多いと感じた。
それこそ冒頭に書いた「自他の分離」も、スーさんの「落ちかけたコップを拾わない」っていう話から出てきた部分もあるし。

テーブルの端から水の入ったコップが落ちそうになっていても、走ってキャッチしに行くのをやめるのだ。
たとえコップがガシャーンと落ちて床が水浸しになっても、「あらぁ~」という顔をして動かない。後始末にも行かない。
そういう、手を出さない胆力を育てる。

kinomegumi.co.jp


これは今回の本でいうところの、この部分だと思った。

あることの最終的な結末が誰に降りかかるのか、その責任を最終的に誰が引き受けなければならないかを考えれば、そのあることが誰の課題かわかります。
(中略)
親は子どもが学校に行かなかったり、子どもが勉強しなかったりするのを見て、イライラしたり、不安になったりしますが、
イライラや不安にどう向き合うかは、子どもの課題でなく親の課題です。


そのほかにも、スーさんのいうところの「他人はあなたの人生を輝かせるための書き割りではない」って、
アドラーのいうところの「自分が他者の期待を満たすために生きているのでないとすれば、同じ権利を他者にも認めなければなりません。
他者も自分の権利を満たすために生きているわけではないということです」ってことだよなぁ、など。


ちなみにその後、別の新刊書店で「ブックス」として新装された版を発見して購入。それが冒頭に載せたリンクです。
折に触れて読み直します、という決意表明のつもり。

*1:先日友人にズバッと言われて、その通りだと思ってるいまとても